後、10分ほどで新しい年を迎えます。
いろいろ考えるところはありますが、 なんとかまじめにコツコツとやってきたかと。 年の終わりに愛しい命とさようならをしましたが、 これも仕方がないのかなと思います。 歌三線では新しい出会いもあり、 ストイックにお稽古されている方たちに刺激を受けて 昔の自分を思い出したりしました。 自然の力のすごさ、怖さを思い知った年でもあります。 でも健康で過ごせることに感謝して、 後悔しないよう来年も、目一杯頑張りましょう。 私は5回目の年女になります。そう、昇り龍になれるよう。 あけて19日、母は思ったより元気です。
1年4か月の闘病を見ていたせいか、 「精一杯やってあげたし、仕方がないか…、 最後は思ったより苦しまなかったように見える。」と思っているようです。 反対に私は動物病院の先生にお礼の電話をした時、 「山本さん、よう頑張り張ったね」とねぎらっていただいて、号泣しました。 自分ではそんなに頑張っているつもりはなかったのですが、 1日おきの元気の病院通い、くうの毎日の皮下輸液、母の介護とそして仕事、三線と (優先順位はどうやねん!と自分で突っ込みを入れながら) 隙間の時間を見つけて工夫して、 傍から見ていたら危なっかしい綱渡りだったのかもしれません。 仕事に行ってレジやカートを片づけながら、ぼろっと涙が出るのに気付きます。 たぶん私の眼は1日ウルウルしていたかも。 こういう時って仕事を持っていてよかったなぁと思います。 1日家にいる人だったら、たまらないでしょうね。 元気は小さな骨壷に入って大好きな母のベッドの横、テレビ台の上にいます。 その場所がお気に入りでした。 まだ健康だったころの写真を飾ってますが、 最後は痩せて小さくなってたんだなぁと気付きます。 毎日見ていると痩せてきても、そんなもんだと見えてましたから。 ずいぶん前にNETで見つけて、 いつかこれを見て泣くんだろうなぁと思った虹の橋です。 2011年12月18日午後4時ごろ
元気君が虹の橋を渡りました。 13歳でした。 二度ほど吐いて後始末をしてそっと頭をなでていたら その時は生きていたそうです。 だからその後、あたりだろうと…。 私が帰宅して様子を見たときにはもう駄目でした。 いずれにしてもそう苦しむことはなかったと思います。 9日に一回目の腹水を抜き、二回目が14日でした。 もう自分の足で立ち上がることもできずに おしっこも寝たままでした。 これ以上の病院通いも可哀想なので私が輸液をしましたが、 本当に皮下がわからないくらい痩せてくっついていました。 湯たんぽを抱かせて毎晩母が添い寝をしていましたが だんだん代謝が悪くなって手足が冷たくなっていました。 大腸の腺癌で、腎不全で、余命は一年といわれながら それでも頑張ってくれて、家族に笑顔を運んでくれました。 母のヘルパーさんにもとても可愛がってもらって幸せでした。 もう痛みも苦しみも何もないから、 お腹一杯ご飯食べて、走り回ってね。 心からありがとう。 いつまでも私の中に生きてるよ。元ちゃん、またね。 母の飼い猫元気が、ほとんど食べ物を口にしなくなって1週間が来ようとしています。
昨年の8月に腺癌を発症し、手術をして腸の一部をとりましたが、 主治医の先生から「あと、たぶん一年…」と言われていました。 手術後、全く餌を食べてくれなくてやせ細り、どうなる事かと思いました。 奇跡的に回復し、元通りと行かなくてもそれなりにふっくらとして、 安心したんです。 私の願いは「食いしん坊の元気にもう一度お腹一杯食べさせたい」でしたから その願いは叶いました。嬉しくて…、やったぁ…と。 ですが…。 やはり癌の野郎は消えてくれず、少しずつ増殖していたんですね。 今年の8月、術後一年が過ぎる頃から食が細くなりました。 今は背骨もコツコツと当たるし、首周りの肉もげっそりして私の片手の指でまわります。 先生は無理に強制給仕しても吐くだけだから、よけいにしんどいから、と言われます。 口からの水分が不足してるだろうから、病院に輸液と安定剤を飲ませに通っています。 それもやめると、一気に弱るから…です。 雨の日も、風の日も、暑くても、寒くても、仕事の行きも、帰りも、 隙間を作って一年三カ月の間、 帝塚山の病院まで元気を背中にしょって、チャリで通いました。 それももうすぐ終わりになりそうです。 元気は母の息子ですが、最後の最後は私が手を掛けて慈しんだので 私のほうが参りそうです。悔しいなぁ…13歳で猫生ではまだまだ若いのに。 これを書いたのは12月の3日です。 今日9日朝、腹水を抜きました。 ぎりぎりまで待ったんです。抜けば楽になりますが、弱るから。 これだけ出るのってくらい、ペットシーツがボトボトになりました。 先生が「たぶん1リットルくらいかなぁ」って。 ひどく苦しまずに虹の橋を渡ってくれたら…と。 そして私のいる時間にしてねって。 最後まで付き合うから、さ。
私がマラソンを始めて25年になります。
楽走会と言います。 長老は80歳、さすがここ一年はご参加がありませんが、 その次席の方は古希を過ぎられています。 まだまだ現役で毎週の練習に参加、 さすがに半分はウォーキングになっていますが…。 私が一番若手です。 若手4人組、みんな来年還暦です。どうよ、これ! で、今日は忘年会でした。 玉出にあるイレブンというスナックで集合。 このお店はオーナーが75歳、バリ現役です。 カラオケ教室の先生と二足のわらじで、とってもお元気。 声は艶やかで羨ましい! スポーツをする人はみんなタフです。 4時間食べて、歌って、つぶれることなく楽しみました。 久しぶりの禁断のカラオケ(笑) 機械が勝手に採点して点数が高ければ 映像のお姉さまが裸になってゆくという いかにもスナックらしいパターンで、きゃぁきゃぁと。 おじ様(おじい様?)方は脱がそうと躍起でしたが。 なんと私が最高得点。小林旭の「北へ」で96点。 映像のお姉さまはおっぱい丸出し、下半身のほんの少しだけ隠れて…。 巨乳だったので(羨ましい…(笑) おじ様方がやんやでした。 私は最後の「むなしさ抱いて 俺は明日もまた」の処で 「換声点やけど行けるか…!?」と頑張ってました。 八重山民謡と違って気楽に歌えたのでちょっと声は細くなったけどなんとか。 (先生が聞かれたら弱いって言ったかな?) 今日はお手本にしなきゃって言う位お元気な方たちに囲まれて とっても楽しくハッピーな時間を過ごせました。 走ることが好き、歌を歌うことが趣味、って人たちはほんと元気ですね。 感動しました。私もあやかりたいです。 という雑誌があります。
何気に駅の売店で手にとりました。 タイトルに惹かれたからです。 「ちゃんとした 大阪うまいもんの店」 「ちゃんとした」ってどうよ…。 編集者はあの「ミーツリージョナル」と 「ハナコウエスト」を手掛けたお二人でした。 本の中身は行ったこともある所から新店まで、 ひとりで行ける所や大勢のほうが楽しそうやなってところまで多種多彩。 お一人様は全く平気なんだけど、友人と行くとなると…さて。 (フレンチやイタリアンの比率が高いのは編集者がお若いからでしょうか) 誰か、女子会で行きませんか? 安くはないけど目が飛び出る…ほどでもないクラスのお店って 誘うのが難しいなぁ。 偶然に次の日にはB様のお店風亭が載ったMeetsも購入していたのでした。 こちらは安心して通えます。目は飛び出ませんから…(笑) 店主がカッコよく写ってましたね。 11月23日、父の50回忌法要がありました。
私は既に父の生きた時間を超えています。 50回忌をできることはおめでたい事だから、熨斗も紅白、お供えのお餅も紅白。 心得として知っているけれど(百貨店勤務だから)実際に見ると 「あぁ~、そうだね」って妙に納得しました。 父の係累は少なくなっているし、お付き合いしている人は一人で、しかも高齢。 (両親が離婚しているのに、位牌が家にあるのは幼い時は不思議でした。 家族に縁が薄い人だったのかしらねぇ。) 80歳と85歳を連れて奈良の菩提寺、霊厳院までタクシーで往復しましたよ。 ちょうどお寺ではお十夜の儀式が執り行われ、それにも参列。 その後に、法要という段取りでした。 参列している人は信心深い人が多く、同じ時期に五重を受けた方が何人もおられました。 若い人(といっても40代かなぁ)がちらほらいたのでちょっと安心。 その後、軽くお精進のお食事をいただきます。 あずき粥、ふろふき蕪、煮物、お浸し二種でお腹がいっぱいになりました。 こちらのお精進は美味しいんですよ。 いよいよ父の法要が始まりおっさんのあげる読経は 知っているものと知らないものの半分づつ。 50年ってちょっと特殊なものもあるのかもしれません。 お腹もいっぱいで、おっさんの読経の響きも心地よく、ちょっと落ちそうになりました。 いろいろ考えるところはあるけれど、健康で、仕事もあって、 日々送るだけの収入が確保できていて、何より好きな三線もできる。 そして私のことを気にかけてくれる友人が一杯いる…。 多分父と真逆かもしれない人生だから、今あることに感謝する一日でした。 父はもっと長く生きたかったのか、それとも晩年は不遇だったらしいから もういいやって思ったのか、どちらなんでしょうねぇ。 完全燃焼!!
たぶん皆そうなんでしょう。 生り島コンサートに出演していない二人が来られて。 珍しく支部長も参加で5人だけでした。 苦手な早調子や、普段稽古しない曲も交えて、ゆるゆると。 赤馬~しゅうら~鶴亀~矼ゆば~真栄里~まんのーま 宮良川~しゅんさみ~稲しり 胡蝶~殿様~月ぬまぴろーま 脈絡はないけれど、楽しかったです。 たまにはこんな日も良いですね。
いよいよ帰阪当日。
夕方の便にしていたので小浜島へ。 うた会のH澤さんとご一緒する。 Tじさんも誘ったのだけど、彼女は波照間へ。 港で会った岡山組は竹富へ。豊中組&Sのちんも竹富。 なんかバラバラ~~っと島へ。 そう、せっかくここまで来たんだものね。 いつも関空ー那覇のお稽古旅だから。 レンタカーを借りて島内一周。 途中で「運転する?」と聞かれたけれど、丁寧にお断りしました(笑) なぜ、小浜…か? そう…大岳で小浜節が歌いたい…でした。 二人で交互にアカペラで歌いましたよ。 ![]() 楽しい時間は何時も早く過ぎる。 ランチでスバいただいて、もう帰る時間です。 H澤さんは石垣祭りへ、私は大阪へ。 港で東京組とK太さんとばったり。 名残は尽きないけど、日常が待っています。 楽しい、そして有意義な、とても勉強になった旅でした。 先生の弟子で良かったと強く思いました。 そして全国の三線兄弟と出会えたことは宝物です。 これからも出会えた縁を大切に過ごしたいと思います。 心からありがとう。
いよいよ今日は楽しみに待った歌碑巡りです。
私たちの中には強烈な晴男と晴女が大勢いるみたい。 降水確率70%…はどこへ行った? ピーカンのお天気です。 ホテルククルとシティジャックとバスセンターは歩いて二分の至近距離。 全く知らずにホテル予約したのになんて効率のいい事。 大阪からわざわざ来てくれた友人のA野さんも 「一人で歌碑巡りをしてもよくわからない場所が多いから…」と楽しみにしています。 さて、コースは東回りマクラム道路を北上しました。 とぅばらーまの碑、宮良川節、赤馬節、真謝井節、桃里節、舟越節、つぃんだら節 、山原ゆんた、網張ぬ目高蟹ゆんた…と進んでいき、先生のご実家にも立ち寄りました。 ![]() 先生のご実家では仏間で ![]() お母様と亡くなられて父上に 私たちが学んだゆんたを捧げました。 お土産に妹さんが織られたみんさー織の コースターをいただきました。 おもてなしの心に感謝いっぱいです。 歌碑巡りが終わり、打ち上げまで少し時間があるので 予定通りMママのご仏前にお参りに行きました。 仕事の時間を少しずらしてパパが待っていてくれました。 写真のママは私が知っている時よりずっと肥っていて 「あぁ、辛い事はお酒に逃げていたのかなぁ」と。 私が闘病中のママに送った手紙も備えてありました。 元気でいてくれたら今日会えたのにと思うととても切なく。 今でも「ちかぁ~、がんじゅ~~」と電話の声が蘇ります。 どうかパパ、元気でいてくださいね。 またきっと会えますから。 いよいよサンの会の打ち上げがホテル日航八重山で始まりました。 弾ける、弾ける!!! 賑やかなことの好きな大阪勢、 山入らば隊、くいちゃー踊り隊が結成されましたが あいにくの稽古不足。 踊りの素養がないのを露呈しながら、ま、 飲み会でのご愛嬌としていただきましょう。 ![]() さいごはメンガテーでおでんとスバ。美味しかったです。 こうして長~~い石垣の一日は終わりました。 いやぁ~、楽しかった!
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