むりく花ぬ 咲かりょうり

復帰40年

私が初めて沖縄の土を踏んだのは高校のユネスコ部の時。
当時の顧問、米田伸次先生の引率のもと、24時間かけて熊本港から船で渡った。
もちろんビザが必要だった。

こう書けばさらっと聞こえるけど、高校の課外授業でビザが必要な沖縄に行くことを
父兄が簡単に許してくれる訳がなく、保護者参加の会議は揉めに揉めた。

「何かあったら…」と下世話な保険金の話まで出たらしい。
米田先生が熱心に父兄を口説き落として実現した。

当時、私の先輩で今は亡き「ハイボールのマスター」の奥さまは
沖縄出身者で、森小路で保母さんをしていた。
沖縄に行くなら親戚にお酒を託けて欲しいと頼まれ、
一升瓶二本を荒縄で括って私は那覇港に降り立った。

親戚の叔父さんは軍労働者で「お礼に基地を案内してあげよう」ということになった。
「ただし、写真はもちろん、メモもダメ。僕が首になるから…」と。
私と友人は嘉手納基地をジープで案内してもらった。
その時の印象は今でも鮮烈に残っている。
B52戦闘機の尾翼の列。
ベトナム戦争の真っ只中だった。



もう40年も過ぎたのに、
沖縄の現実は何も変わっていない…
私は何もしてこなかったという負い目。

複雑な思いで今日を迎えた。
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by murikupana | 2012-05-15 22:45 | 日々のあれこれ
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ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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