むりく花ぬ 咲かりょうり

祈り

入院している友人を見舞った。
初めて彼を知ったのは高校生のとき、ちょうど関西フォークが芽生え始めた頃だった。
奥様は確か読谷出身で旭区の保育園の保母さんだった。
返還運動のデモの待ち合わせ場所扇町公園も、京都の夜桜コンサートも彼らと一緒に行った。
今私が歌三線をしているのも突き詰めると彼の亡くなった奥様の影響かもしれない。
彼女は保育園での昼休み、よく45回転のSPレコードをかけて静かに踊っていた。
感受性の強い高校時代を返還運動のデモに明け暮れ、基地付きの返還で時代は終結した。
私は社会人になり、売上げと組織の人間関係に悩まされながら年をとっていった。


ものすごく時が過ぎて、唄三線を始めた私を彼は嫌がり、何かにつけてけなす。
彼にとっては沖縄はトラウマで、辛いんだろうとわかっているが、
それでも民謡を含めて総て否定されるので、彼の経営するお店に少しずつ足が遠のいていった。



病名は「後縦靭帯骨化症」 脊椎を支える靭帯が骨化してしまう難病。
13時間を越える大手術だったとのこと。

それまでに、大腿骨、膝と手術を繰り返し、負けん気の強い団塊の世代ではあるが、
さすがに今回はこたえている様子。
「退院しても歩けんかも・・・・」弱気な発言が続く。
私も「大丈夫だから」という言葉がなかなかいえなくて、
「お互い、年取ったよねぇ」とぼんやり考える。

「検診です」との看護士さんの言葉に病院を後にしたが、絶対戻っておいでねと強く思う。
車椅子でも、杖でもいいから、またあのお店の定位置に立って欲しい。
団塊の世代って不死身でしょ。
何時も私を理屈でやりこめていたやん。
震災にも負けへんかったやん。
あの頃のあの強さを思い出して、自分の治癒力を信じてリハビリに励んで欲しい。
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by murikupana | 2006-01-25 21:37 | 日々のあれこれ
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ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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