むりく花ぬ 咲かりょうり

カテゴリ:日々のあれこれ( 221 )

ライブにて

高校生の頃、
高校の軽音楽同好会でバンドを組みフォークソングを歌っていました。
森小路にある平和の子保育園のフォークスクールで歌を歌ったり、
テーマを決めて話し合ったり。
相当頭でっかちの高校生だったと思います。
同じ頃、難波元町にある喫茶店「ディラン」によく行っていました。
当時のサブカルチャーを知る人には「ディラン」といえば超有名な喫茶店です。
5坪くらいの小さなお店で、大塚まさじさんと石村洋子さんが経営していました。
とても居心地が良く、音楽をする若者が各地から次々と訪れ、
あっという間に有名になっていきました。
今なら、「不良」のレッテルを張られるかもしれないけれど、
時代の空気がそういうこと(高校生が喫茶店に出入りすること)を
許していました。自己責任、私は平気でした。


ある時、私はディランを出て貧血を起こし、救急車で運ばれました。
同乗して病院までついて行ってくれたのが、ながいようさんです。


時間が過ぎ、私も高校生、大学生、社会人となって関西フォークから足も遠のき、
風太さんの春一番も行かなくなって。
永井さんが大塚まさじさん、西岡恭三さん、と一緒に
ディランというバンドで活躍しているのは知っていましたが、
会うこともなく何十年と経ちました。


何がきっかけだったのか、ふと思い出し。
そうそう、本店8階の中古レコード・古書の催事で
大塚まさじさん、糸川燿史さんのトークショーを懐かしく聞いていたんだっけ。
それがきっかけかなぁ。

救急車の時のお礼はちゃんと伝えていたのだろうかと気になり検索しました。
フェイスブックで見つけたのですが、同じ名前の別人かも…と。
じっくり写真を見てみると当時の雰囲気と全く違う、
でも目の優しさは同じ、おじさんがそこにいました。
お互い様ですが、「あぁ、月日は過ぎたんだ」と思いました。
当時は髪はアフロだったか、腰までの長さだったか、
そして黒縁の目が目をかけていたよね。

かと言って、私の事を、救急車の一緒の乗ってくださった事を、
覚えておられるのかどうか…。
とりあえずメッセージを差し上げました。

帰ってきた返事が「覚えているよ!元気ですか?」
「僕は今、嫁の故郷、読谷に住んでいます。
ライブで時々関西に行くから。会いたいなぁ。」

すっかり嬉しくなって「近々、ライブに伺いますね」と返事しました。

5月末のある日の夕方。
ライブ会場の寺田町「ロビン」を訪ねると、
「おちかさん!懐かしいなぁ」
もちろん、自分で名乗ったからでしょうが、面影を見つけ出してくれたのかな。
当時のあだ名「おちかさん」と言ってくれたのが面映ゆかったです。
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ディラン時代の有名な曲も含めてたっぷり2時間、
ライブを楽しみました。
昔からギターが上手でしたが、やはり、プロですものね。
当時よりずっと、ずっと、磨きがかかっていて感動しました。
ギター、バイオリン、ブルースハーブ、の織り成す音が優しく心にしみました。
やさしさと愛を一杯感じて、今こうしている時間に感謝して。

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じっくりお家でも聴こうとCDをいただいて帰路につきました。
母が待っているので長居ができずゆっくり話せなかったのが残念ですが、
駅までの道、歩きながら、心がほっこ、ほっこしました。

おまけです。
当時ディランのママをしていた洋子さんとも再会しました。
鳥肌が立つほどびっくりしました。
60歳半ばになって、何十年も過ぎて、会えるなんてどれだけ嬉しいものか…。
話している途中で「ディランのママ?洋子さん?」と気付きました。
雰囲気がそのまま残っていました。本当に昔のまま。
またどこかで会えますよねと連絡先を交換しました。
気持ちが一気に高校生に戻った時間でした。





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by murikupana | 2017-06-05 22:05 | 日々のあれこれ

勤務最終日

4月10日、勤務最終日でした。
5年間の再雇用勤務が終わりました。
大学卒業してから職場は3つ変わったけれど、43年間、よう働きました。
もっとセンチになるかな?と思ったけれど、案外そんなこともなく淡々と。
百貨店の常で、最終日が遅番というのもご愛敬でした。
同僚や、売場ののアルバイトさん、そして以前に在籍していた職場の方から
表彰状や、お膳別、普段絶対買えない大きな花束など一杯プレゼントされて
まるで宝塚のトップさんのようでした。

勤務を終えて女子ロッカーに行くと、
これだけ花束や何やら持ってたら気づくよね。
「え、山本さん!ひょっとして?」
「そうだよ、今日が最終。今までありがとうね」
「え~~、会えてよかった!、元気でね」とあちらこちらでご挨拶できました。

結局43年間の内、大和商事が8年半、アトリエコロが3年半、阪神が31年と
阪神が一番長くお勤めしたことになります。

どれだけの部署で仕事したのかなと数えると10個ありました。

商品企画室
家具・家庭用品部
ディアモール大阪準備室
海外事業部
販売促進部
呉服・美術・宝飾部
法人外商部
家庭外商部
エビスタ阪神
タイガースショップ と賑やかやなぁ。

一つの部署で長く仕事をする専門職に憧れますが、
「百貨店勤務はどこへ異動させられても、そく戦力となる総合力を求められる」と
頑張ってきました。仕事好きですし異動は苦になりませんでした。
それぞれの部署で上司や仕事に恵まれて良いサラリーマン人生やったと思います。

でも、もし、もし「今までの職場でどこが一番よかった?」と、聞かれたなら、
迷わず一つ目の会社、大和商事と答えるでしょう。
私が百貨店で長く仕事ができる基礎を作り、育ててくれたのはそこだから。
倒産してしまって今はもうありませんが、社会人として多くの事を学びました。
学卒の生意気なペーペーを、本当に根気よく指導していただいたと思います。
大和商事で教えてもらったことが阪神百貨店で活きました。心から感謝します。
今でもタイムカードを押して最終電車に乗るために
神泉駅へダッシュしている自分を懐かしく思い出します。

これからどんな時間を過ごすのか、まだ一週間しか過ぎていないので
実感がわきませんが、昨日までの自分に笑われないように、生きたいと思います。











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by murikupana | 2017-04-22 00:28 | 日々のあれこれ

何度目かわからない救急搬送と医者のあれこれ

三線の稽古日。
野田阪神についたところでヘルパーさんからのショートメール。
「キヨさんがしんどいから救急車を呼んでと言ってます」
やれやれ、いつもの発作と私はわかっているけれど、
ヘルパーさんはそんな事に慣れていません。
ちょうど一週間前も同じような状態で、
私と連絡がつかなくなって焦っていたっけ。
病院についた頃には良くなるとわかっていても
ほっておくわけにもいかず、救急の手配してもらってとんぼ返りしました。

湊町にある富永病院に着くと母は処置室で点滴を受けていました。
待つこと一時間。
呼ばれて入ると母は「ん~ん、ん~ん、痛い~」と唸っていました。
(慢性心不全は不整脈が起きるので、気持ち悪くてしんどかったり、
 心臓が痛いと感じたりするそうです)
処置してくれた桑〇医師はPCのデータを見ながら説明してくれました。
「BNPがこれこれで、CREAの値がこれなので
 心臓以外に腎臓もダメージがあります」
「では、今夜は入院ですか?」
「いや、この値では入院の基準を満たしていません」
「は?どういうことですか、それ?」
「じゃ、先生はこんなに唸っている母を
 タクシーに乗せて連れて帰れ!というんですか?
 よくそんな非人間的なこと言いますね」
「いや、そんなふうには言っていない」
言った、言っていないの押し問答のすえ、私は完璧に切れました。
「お母さん、帰ろう。こんなところにいたら余計状態が悪くなる。お家に帰ろう」

結局私の剣幕にびっくりしたせいか(笑)母の発作はスッと収まりました。
「こんなにしんどいのに入院もでけへんの?」といったのが
切なくて、かわいそうで。
最後に桑〇医師が捨て台詞のように言ったのは、
あなたの言葉で私は傷ついたとか、なんかそんなニュアンスの事でした。
では、あなたは「入院基準を満たしていない」と言われたら
患者や家族はどんなふうに思うのか考えたことはありますか?
傷つくどころか、入院もできない、こんなにしんどいのにどうしたらいいのって
とても不安になるでしょう?それをわかっていますか?

医者はそういうところも配慮してくれるものと思っていましたが、
今日で認識を改めます。
しょせん勤務医は勤務医。
面倒くさい患者、治る見込みのない患者(母はどちらも当てはまります)には
つれないもんです。
たぶん母は、死ぬまでこんなしんどい状態が続くのでしょうね。
慢性心不全とはそういう病気だと思います。

今回、病院名と医師名を書くのに躊躇しました。
書いてしまうと、次に何かあってももう搬送できません。
ネットの世界はずっと消えないからその内容が
お家の玄関に書いて貼れるかどうかが判断基準ということも理解してます。
それでも我慢できなかった。だから書きました。

もう寝ます。











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by murikupana | 2017-04-06 23:35 | 日々のあれこれ

再び、救急搬送

母の事、覚書

2月20日、夜の11時30分頃、今年に入って二度目。母を救急搬送しました。
階下の様子がおかしいので見にゆくと、ベッドの上で身体を折り曲げて唸っていました。
一目で「アカン!」と感じ、迷うことなく119。
救急車が来るまで、保険書や診察券まとめて、財布に現金突っ込んで、
バタバタと準備しました。

暴れるので担架ではなくシート状のもので車内へ。
速攻、酸素マスクと血中酸素をはかる器具を装着されました。
救命士の方がいろいろ受け入れ先を探してくださいましたが、
結局2病院に断られ3つ目で受け入れていただきました。
その間母は「苦しい、息ができない、辛い、しんどい」とわめきっぱなし。
息がしにくいからパニックに陥ってたのだと思います。
救命士さんが「多分、心不全です」と。「え、心房細動やないの?その検査してるのに。」
あとから病名の意味や、連鎖して起こる症状について、かなり詳しくなったのですが、
その時は「???」でした。
今まで何度か救急搬送していますが、こんな状態の母を見るのは初めてです。
ほんの数分の事ですがもっと長く感じ、正直、もう駄目かも…と思いました。

湊町のT病院に到着して、処置室に運ばれ、
強制的に酸素を送る装置をつけられ様々な処置を受け、一命を取りとめました。
私は医者ではないので上手く説明できませんが、
血圧が高くて、血液が心臓へ送られても送り返す力が心臓に無く、
圧がかかるので血液中の水分がじわっと肺にしみ出て
息が上手くできない状態だったそうです。
当直の処置していただいた先生に説明を受けました。「うっ血性心不全」と言われました。
その日はHCU(ハイケアユニット・以前はICUと言っていたような)での入院となりました。
身体が楽になってからは会話も少し出来たので、入院することを納得させ、
私が自宅に帰りついたのは朝の4時でした。

これで終わりではなく、本当に大変になるのはこれからでした。


翌日曜日、メールで知らせた妹夫婦と一緒にT病院に行きました。
思った以上に母は元気で会話に頓珍漢なとこはなく、
私たちが病室を出る時も納得した様子でした。

月曜日、会社に半休をいただき妹と一緒に病院へ。
母は一般病室に変わっていましたが、そこはかなり重症の方が入っておられ、
ずっと機械の作動音がしています。
痰が切れなくてゼロゼロ言っている方、
時々ウォーと吠える方、
あらぬ方向を見てじっとしている方、など、
健康な私でも「嫌やなぁ」と思ったので、気持ちが弱っている母にはもっと堪えたのでしょう。
私の方が先に出て仕事へ、妹が残れる時間まで残ってくれました。
そこまでは上手くいっていたのですが。

もうすぐ勤務が終わる8時ちょっと過ぎ、売場に居た私のスマホが鳴りました。
T病院の夜勤の看護師さんからでした。
「お母さんがお家に帰ると言われているので説得してください。」
何とか説得して(つもりになっていた)私は帰宅しました。
途中地下鉄の中で再びスマホが鳴り、
「お母さんがうちに帰ると言って一階の玄関から動きません」
「来られて、説得してください」でした。
ちょうど日本橋に着いたところで、頭抱えながらタクシーに乗りました。


母は寝巻にカーディガン、妹が買ってあげた週刊誌二冊を抱えて一階に立っていました。
そばに看護師さんが諦めたように立っていて…。
きっとものすごく心細かったことでしょうに、
その時の私は母を病室に戻すことしか考えていませんでした。
鬼です。可哀想な事をしました。
母の喋ることもつじつまが合わなくなってきて、言動におかしなものが混じってきました。
私が病院に着いたのが9時前。母が眠剤の注射で眠ったのが12時頃。
その間、起き上がって帰ろうとする母をなだめて
「眠るまでここに居るから」と言ってもすぐ目をあけてきょろきょろします。
この病室の患者さんの痰の詰まった音や機械音などすごく怖かったのでしょう、
眠れるわけ無いですよねぇ。


帰宅するタクシーの中で決めました。「退院させよう」
心臓の状態は良い状態に制御してもらえても、このままでは痴呆が進みます。
どちらが母にとって幸せなのか。
少ししんどくてものんびり出来て、大好きなもものいるお家に戻してあげよう。
たとえそれが自分の首を絞める結果になっても、「仕方ないか…」  覚悟しました。

火曜日、病院に電話して退院を告げ、昼前に迎えに行きました。
バタバタと退院の荷造りして帰宅。
母に「お昼ごはん、何する?」と聞くと「お寿司」といったので二人でお寿司をいただきました。
母の言動は相変わらず妄想か夢かわからない話をしますが、
もも(猫)を抱いていると落ち着くようでした。

次の発作がいつ?という不安はあります。母はもっと怖いでしょう。
でも、その時は「しゃぁない」と私は覚悟ができました。
まだまだじたばたするでしょうが、少しづつ気持ち切り替えていこうと思います。
退院して今日で5日目になりました。
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by murikupana | 2016-02-29 00:17 | 日々のあれこれ

母のその後。

昨日売場に外商時代のお客様がお見えになり、
「ちかちゃん、お母さんは大丈夫?」と
とても心配して、尋ねてくださいました。
その方のお嫁さんとはFB友達。
内容を読んでびっくりされたそうです。
よく考えれば、救急搬送しました、としか書いていないので、
その後のことがわからず心配して来てくださったのです。

母はお陰さまで昨日からベッドから起きて
座れるようになりました。
すっかり元気というわけではないですが、
普通に喋れるようになっています。

ただ、救急搬送の翌日、
ホームドクターの診察で心電図を取り「心房細動」が見つかりました。
母の不整脈の原因です。
どうき、息切れ、眩暈などの症状と、そして一番怖いこと。
心房細動による脳梗塞をかなりの確率で発症する事、
そして脳梗塞による死亡の50%が心原性であること、です。

「本当にそうかどうか検査をしようね」ということで
大阪市大で、検査をします。
それが水曜日、多分一日がかりです。
そして私が那覇入りするのが金曜日。
ん~ん、微妙!
たとえそうでも「お薬変えて様子を見ましょう」なら
熱発もないのでショートステイは可能です。
が、
24時間心電図や心エコーを取るので入院!となると、
私の那覇入りは消えてしまいます。

年に一度、師匠のもと全国の教師が集まります。
第一回から10年余り、唯一の皆勤者でしたが、
それも危うくなってきました。
母は「お姉ちゃん、行ってきて」と言ってくれますが、
大層な事になったら、そうはいかんやんね。
寂しく、悔しいけど、諦めるより他にないのか、
それとも、母は不死身なのか…。
全ては水曜日の検査にかかっています。

どうか那覇へ行けますように。
じゃなくて、母に穏やかな日々が戻りますように。





 

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by murikupana | 2016-02-01 01:33 | 日々のあれこれ

幹事会

なぜか毎日があわただしいです。
秋だからイベントが多い、それもあります。
お声がかかったら、ホイホイ行く性質なんで(笑)

でもやはりこれですね。
同窓会の幹事を仰せつかった(オシツケラレタ(笑))
今月末です。もう打ち合わせも佳境。
5回か、6回会って打ち合わせて、その後お酒と美味しい料理をいただいて。
それって飲んでるだけやん!
その通り!

でもちゃんと内容は詰まって、準備も怠りなく。

T学院小学部6年A組 双葉会。
「双葉」と言うより「落葉やん!」と言われないように、
元気で明るく、前向きに。

今日の打ち合わせは堺の美々卯さん。
うどんすき、美味しゅうございました。



着物はむら田さんで仕立てた綿の縞
半幅帯はこころやさんのイベントで購入
猫の帯止は三線のお弟子さんたちから頂いたもの
下駄は粉浜商店街の荒井はきもの店さんの神戸下駄
休みの日のお出かけはなるべく着物で、ね。
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by murikupana | 2015-10-11 08:20 | 日々のあれこれ

香茸

香茸なる珍しいキノコを三線仲間からいただきました。
かさの直径が15センチくらいの大きなキノコです。
色は全体に褐色と言うか黒っぽいです。

きのこ図鑑
http://www.kinoco-zukan.net/koutake.php

「香りが良いから炊き込みご飯が美味しいよ。
松茸より珍重されているから」とのことで
早速炊き込みご飯にしました。
確かにとても香り良く、触感はシコッとして美味しかったです。
母と「初物は寿命が延びるん?」とか言いながらいただきました。

くださった方は西宮の奥の山で採取されたとか。
ありがとうございます。
ご馳走様でした。
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by murikupana | 2015-10-07 00:12 | 日々のあれこれ

これも同窓会

9月30日、阪神百貨店の第一回OB会総会が開かれました。
今までも部課長以上ではあったみたいですが、
職域、階級を越えて集まるのは初めてとのこと。
場所はホテル阪神のボールルーム、
ここは外商時代に催し会場でよく使い懐かしいです。

いったい何人集まるのかしらと思ったらなんと161名でした。
聞いた時「えっ!161!なんて凄い。芸能人の結婚式みたいやん。」と。

壮観でした。60歳以上の161人ってとても賑やか。
いや、うるさいのかな(笑)

私は中途採用なので、いわゆる同期がいません。
でも、所属した部署柄、多くの部課長・主任と接する機会に恵まれ
参加されたほとんどの方のお顔を存じ上げています。有難いですねぇ。

着物を着ていったので
「お、新地のママみたいやん」(ホステスと言わなかったので許す)
「踊りのお師匠さんがいる」(いやいや、何時も着てはるわけない)
「売場のTシャツとえらい違いやな」(女は化けるんよ)など
心で思ったことはすぐ口にする悪い癖で、
「変わらんなぁ~♪」と呆れられましたが。
一括りにしたらアカンけど、この年代の男って相変わらずやなぁと思いました。
今の時代これ言ったら、セクハラですが、親しいので許します。

総じて女性の方が若々しく、
男性の方が(何人かを除いて)グンと老けてはりました。
この何人かはごっつ、カッコ良かったですよ。シュッとしてはりました。
ん、見習おうって思いました。

お料理も美味しく、十何年ぶりに会う方とお話もでき、
良い時間を過ごさせていただきました。

最初、会場に流れていたのは「グリーンのクローバー」
最後に歌うは「六甲おろし」 やっぱり、うちらしいです。
お別れの挨拶はあちらこちらで「来年、また。死ぬなよ!」
しみじみと良い会社、良い上司に育ててもらったと思っています。

ダカラ、イマノワタシガイル。

皆さんこそ、どうぞお元気で、来年、またお目にかかります。

写真は、私が着物初心者の時にいろいろアドバイスしてくれた
呉服売場一筋で卒業された先輩です。
本当に細かく着物の事教えてもらいました。
もちろんええ着物一杯持ってはります。
FBに載りますよと言ったらええよ~だったので。
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by murikupana | 2015-10-05 00:23 | 日々のあれこれ

初盆

今日、初盆のお参りのために淡路島までいきました。
私の勤務した最初の会社、
大和商事株式会社商品企画室時代のH部長のお墓参りのためです。
H部長のご実家が映画のロケに使われ、完成した映画を見た時に
自然と「お墓参りに行きたいね」となりました。

娘さんのご都合も今日が良かったらしく「かしまし4人元娘」で伺いました。
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淡路島は初めてでしたが、以外と近いですね。
ご実家のある場所は本四仁井(ほんしにい)というバス停で、
久野々という地域です。
自然が一杯で空が広く、一軒一軒のお家が離れていて、
そのお家もとても大きいです。
屋根瓦がさすが重厚で綺麗でした。
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ご仏前にお線香をあげて、部長の会社時代の話、
こちらへ戻られてからの話に花が咲きました。
私は入社後一年だけ大阪勤務で、残りはずっと東京企画室でしたので
他の先輩のように部長との思い出が多くありません。

けれど、出張で東京へ来られた時は必ず
「元気にしてるか?」と声をかけていただきました。
会社で初めての女子の転勤者だったので、とても気にかけて貰ったと思います。
結局その会社は倒産したので、現在はありません。
だけど私がずっと仕事をしてこられたのは、その会社のお陰です。
部長に教えていただいた事の数々は今も私の胸にあります。
社会人としての基礎をたたきこんでいただきました。
学卒の22歳の若者にいろんな仕事を任せてもらいました。
今の時代、そんな事はなかなかできない事だと思います。
本当に有難いことです。懐の深い方でした。

ご仏前に手を合わせながら
「当時の部長の年をとっくに超えてしまいました。
今の私、これで良いですか?いけてます?」と。

多分他の皆も似たような事を尋ねたでしょうね。

享年83歳。もう一回飲みたかったです。
本当にありがとうございました。

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by murikupana | 2015-08-04 00:56 | 日々のあれこれ

懐かしい人々と。

映画を見てきました。

私が最初に勤務した大和商事時代の部長のご実家がロケ地だったからです。
当時の企画室の先輩からこのお話をいただいた時、
「ご一緒させてくださいね」と答えたものの、
映画はあまり期待していませんでした。
ところが面白かったのです。2時間があっという間でした。
淡路島が舞台で、玉ねぎ農家とノリの養殖と淡路人形浄瑠璃と。
「山が海を育て、海が山を育む」のキャッチフレーズの通り
まるまる都会っ子の私にはその映像の一つ一つが新鮮な驚きでした。

何より、20代の頃にお世話になった先輩たちと40年近くたって
食事をして映画を見る。とても賑やかな女子会(と言っていいのか)でした。

撮影ロケ地になったご実家の主、H部長は映画の完成を待たず、
今年の一月に亡くなられました。
一昨年に阪神のレストランで同窓会をした時
「俺ももう80やで」と言われましたが
なかなかどうして、ダンディな紳士ぶりは健在でした。
また次も企画しますねとお別れしたのが最後です。

エンドロールのフリップに部長の名前を見つけた時に
「あぁ、もう居てはれへんのやな」とぐっときました。

写真は部長が作られたかご、大阪駅上の天空の農園のブドウとトマトです。
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by murikupana | 2015-06-15 23:08 | 日々のあれこれ



ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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