むりく花ぬ 咲かりょうり

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ありがとう、くうちゃん

くうが4月24日11時15分、虹の橋へ旅立ちました。
今、箱の中で花に囲まれたくうと一緒にお酒を飲んでいます。
この5年間、慢性腎不全の闘病を良く頑張ったねと褒めてあげながら。

22歳と10カ月。
ずっと私の傍にいてくれました。

まったく餌を食べられなくなったのが20日の夜から。
それでも翌日はよたよたの足で必死で歩いて抱っこをせがみました。
抱っこして~、撫でて~、しんどいから下ろして~
何度も同じことの繰り返し。か細い声で要求していました。
22日にはもう鳴きもせず、歩く事も出来ず、
おしっこは寝たままペットシーツの上で…でした。
大好きなチーズをあげると小指の先くらい食べました。
これが最後の食事でした。
筋肉がないので体温調節ができず、ずっと抱いて温めました。

23日は休日なので一日くうと一緒に過ごしました。
もうろうとしているのでしょうが、視線を感じてふと顔を上げると
くうがじっと見つめていました。
「お母さん、すごくしんどいんだけど、なんでかなぁ。」とでも言いたげな目。
もう輸液はしませんでした。

夜は、意識のないくうと一緒に休みました。
今夜だろうなぁと覚悟していたので、なるべく楽に、苦しまずにと願いました。
痙攣が始まり、少しずつその間隔が短くなり、
そのたびに声を掛け、撫でてあげて。
眠れないまま、朝を迎えました。

どうしよう、今日は仕事だし、最後の時に傍にいてやれない。
くうはまだ息をしています。
幸いな事に母の介護に妹が来てくれる日だったので、
すべて妹に託して出勤しました。

妹から電話があったのが11時30分でした。
くうがこの5年のしんどさから解放された瞬間です。
喜んであげなきゃと思いましたが、やはり泣いてしまいました。
駄目ですねぇ~。

けなげな子です。
明日、明後日と大工先生の特別稽古があります。
もし一日ずれたら、こんなにゆっくりとお別れの時間が持てなかった。
明日だったらお母さん、困るしね…とでも思ったのでしょうか。

猫炬燵にしてから夜は、お布団にもぐり混んで来なくなりました。
ちょっとそれが寂しかったのですが、
最後の5日間はずっと私の枕の横で眠りました。
最後の最後、とても濃いお別れの時間が持てたと思います。

今日は少し泣いていますが、もう明日からは泣きません。
病気に対して出来るだけの事はしたし(輸液の注射が上手になりましたよ)
めそめそするのはくうが嫌がるでしょう。
今頃は虹の橋のたもとで蝶々を追いかけていると思います。
私がそこへ行くまで待っていてくれるはずですから。

ありがとう、くうちゃん。この20年余り、楽しかったよ。
バイバイ、また、ね。
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by murikupana | 2015-04-25 00:00 | くう&元気&もも

覚悟せんとあかんかなぁ

この一年で飼い猫のくうはげっそり痩せました。
身体中から筋肉が無くなりました。
2.9キロから1.6キロへ。
慢性腎不全と診断されてから5年。
毎日の輸液と猫炬燵が欠かせませんが、
それでもそこそこ元気で、食欲もあり、おしっこも失敗しませんでした。

痩せてきたのと、おしっこを失敗するようになったのとどちらが先だったのか…。
毛づくろいもしなくなりました。まっすぐに歩けなくて、よたよたしています。
横になる時も身体を最後まで支えられなくて、どさって音がします。
2か月前には階段から落ちました。猫が、です。

かかりつけの獣医さんは
「食べているうちは大丈夫。」と言ってくれますが
勘でもうあまり時間はないと思います。
体臭と、口臭が強くなっています。顔付も随分きつくなりました。
しんどいのか夜啼きと徘徊が納まりません。

あと2か月で23歳ですが、
お誕生日は迎えられないかもしれない。
覚悟はしていますが、私、持ちこたえられるかなぁ。





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by murikupana | 2015-04-20 22:20 | くう&元気&もも

深夜のお婆さん

昨日、遅番で仕事を終え、天下茶屋に付いた時すでに21時を廻っていました。

「はよ、帰って、ご飯!」と足早に自宅近くのコンビニに来た時、
目の前の光景に、ふと「あれ!?」って思いました。
かなりのお歳のお婆さんが眼鏡を掛けた若者に
「この近くに歯医者さんはありませんか?」と尋ねていました。

私の中で黄色の信号が点滅しました。何かがおかしい。
私は近づいて、「どうしたん?」と尋ねると同じ問いかけ。
若者は親切に検索しましょうか?と言っていましたが「任せて」と目配せして。

「奥さん、今日は日曜やし、もう9時過ぎているから
歯医者さんはお終いよ。お家はどこ?」
答えは駅前のマンションとのこと。
送って行きましょうかと言うと「もう夜遅いから結構ですよ」と答えられて
「ありがとう」とすたすた駅方向へ歩いていかれました。

私の頭の中で老人の徘徊という言葉が点滅していました。
やり過ごしたふりをして観察していると、
道路の真ん中でお医者さんの看板を見つけては立ち止まっています。
(うちの近所は廃業したお医者さんもそのままになっています。)
するといきなりお婆さんは道路の反対側にいた女の子に近づき、
何かを聞いています。
もうすでに知らんぷりできなくなっていた私はダッシュで近づき
お婆さんを確保しました。
付け睫毛をばっちりつけたちょっとヤンキー風な女の子も
「お婆ちゃん、はよ帰えらな。もう遅いし、あかんで」と優しい言葉。

お腹の虫が鳴いていましたが、駅前まで送れば交番はあるし、
お婆さんのいうマンションもあるから、何とかなると思い、送って行きました。

色々な事を話しました。
昭和3年生まれの87歳で今は一人暮らし。
亡くなったご主人は診療所のお医者様、息子達もすべて医者、
長男は某有名病院の院長、あれ、二男やったかいな…とこんな調子です。
年寄りに話を合わせるのは自分の母で慣れていますが、
なんか少し認知が入っているような…。

そうしているうちに駅に着き、お婆さんを見送る形で別れました。
すぐに交番の女性警官に事情を離し、一緒にお婆さんを追いかけていきました。
すると、本当に駅前マンションに入ってフロントでカギを操作しています。

「あぁ、あのお婆ちゃんやったら、一日に一回は来はるよ。」
「鍵がどこかにいってあらへん、とかいろんな事言ってきはるなぁ」
「大丈夫よ、奥さん。僕らも気をつけておくから。親切にありがとうね」

一人暮らしと言ってました。
息子はお正月しか来ないって。

ずいぶん立派なマンションに一人?

どこまで本当の事かわかりませんが、
この時間にヘップ履きで財布一つ握って、歯医者さんを探してウロウロしている。
胸が詰まりました。

でも、天下茶屋も捨てたもんじゃない。
オタク風の男の子も、付け睫毛バッチリの女の子もお婆さんに優しかった。
それだけで良いか…と思いなおして、
もう一度来た道を今度こそ帰るぞと引き返しました。








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by murikupana | 2015-04-20 21:51 | 日々のあれこれ



ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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