むりく花ぬ 咲かりょうり

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再び、救急搬送

母の事、覚書

2月20日、夜の11時30分頃、今年に入って二度目。母を救急搬送しました。
階下の様子がおかしいので見にゆくと、ベッドの上で身体を折り曲げて唸っていました。
一目で「アカン!」と感じ、迷うことなく119。
救急車が来るまで、保険書や診察券まとめて、財布に現金突っ込んで、
バタバタと準備しました。

暴れるので担架ではなくシート状のもので車内へ。
速攻、酸素マスクと血中酸素をはかる器具を装着されました。
救命士の方がいろいろ受け入れ先を探してくださいましたが、
結局2病院に断られ3つ目で受け入れていただきました。
その間母は「苦しい、息ができない、辛い、しんどい」とわめきっぱなし。
息がしにくいからパニックに陥ってたのだと思います。
救命士さんが「多分、心不全です」と。「え、心房細動やないの?その検査してるのに。」
あとから病名の意味や、連鎖して起こる症状について、かなり詳しくなったのですが、
その時は「???」でした。
今まで何度か救急搬送していますが、こんな状態の母を見るのは初めてです。
ほんの数分の事ですがもっと長く感じ、正直、もう駄目かも…と思いました。

湊町のT病院に到着して、処置室に運ばれ、
強制的に酸素を送る装置をつけられ様々な処置を受け、一命を取りとめました。
私は医者ではないので上手く説明できませんが、
血圧が高くて、血液が心臓へ送られても送り返す力が心臓に無く、
圧がかかるので血液中の水分がじわっと肺にしみ出て
息が上手くできない状態だったそうです。
当直の処置していただいた先生に説明を受けました。「うっ血性心不全」と言われました。
その日はHCU(ハイケアユニット・以前はICUと言っていたような)での入院となりました。
身体が楽になってからは会話も少し出来たので、入院することを納得させ、
私が自宅に帰りついたのは朝の4時でした。

これで終わりではなく、本当に大変になるのはこれからでした。


翌日曜日、メールで知らせた妹夫婦と一緒にT病院に行きました。
思った以上に母は元気で会話に頓珍漢なとこはなく、
私たちが病室を出る時も納得した様子でした。

月曜日、会社に半休をいただき妹と一緒に病院へ。
母は一般病室に変わっていましたが、そこはかなり重症の方が入っておられ、
ずっと機械の作動音がしています。
痰が切れなくてゼロゼロ言っている方、
時々ウォーと吠える方、
あらぬ方向を見てじっとしている方、など、
健康な私でも「嫌やなぁ」と思ったので、気持ちが弱っている母にはもっと堪えたのでしょう。
私の方が先に出て仕事へ、妹が残れる時間まで残ってくれました。
そこまでは上手くいっていたのですが。

もうすぐ勤務が終わる8時ちょっと過ぎ、売場に居た私のスマホが鳴りました。
T病院の夜勤の看護師さんからでした。
「お母さんがお家に帰ると言われているので説得してください。」
何とか説得して(つもりになっていた)私は帰宅しました。
途中地下鉄の中で再びスマホが鳴り、
「お母さんがうちに帰ると言って一階の玄関から動きません」
「来られて、説得してください」でした。
ちょうど日本橋に着いたところで、頭抱えながらタクシーに乗りました。


母は寝巻にカーディガン、妹が買ってあげた週刊誌二冊を抱えて一階に立っていました。
そばに看護師さんが諦めたように立っていて…。
きっとものすごく心細かったことでしょうに、
その時の私は母を病室に戻すことしか考えていませんでした。
鬼です。可哀想な事をしました。
母の喋ることもつじつまが合わなくなってきて、言動におかしなものが混じってきました。
私が病院に着いたのが9時前。母が眠剤の注射で眠ったのが12時頃。
その間、起き上がって帰ろうとする母をなだめて
「眠るまでここに居るから」と言ってもすぐ目をあけてきょろきょろします。
この病室の患者さんの痰の詰まった音や機械音などすごく怖かったのでしょう、
眠れるわけ無いですよねぇ。


帰宅するタクシーの中で決めました。「退院させよう」
心臓の状態は良い状態に制御してもらえても、このままでは痴呆が進みます。
どちらが母にとって幸せなのか。
少ししんどくてものんびり出来て、大好きなもものいるお家に戻してあげよう。
たとえそれが自分の首を絞める結果になっても、「仕方ないか…」  覚悟しました。

火曜日、病院に電話して退院を告げ、昼前に迎えに行きました。
バタバタと退院の荷造りして帰宅。
母に「お昼ごはん、何する?」と聞くと「お寿司」といったので二人でお寿司をいただきました。
母の言動は相変わらず妄想か夢かわからない話をしますが、
もも(猫)を抱いていると落ち着くようでした。

次の発作がいつ?という不安はあります。母はもっと怖いでしょう。
でも、その時は「しゃぁない」と私は覚悟ができました。
まだまだじたばたするでしょうが、少しづつ気持ち切り替えていこうと思います。
退院して今日で5日目になりました。
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by murikupana | 2016-02-29 00:17 | 日々のあれこれ

母のその後。

昨日売場に外商時代のお客様がお見えになり、
「ちかちゃん、お母さんは大丈夫?」と
とても心配して、尋ねてくださいました。
その方のお嫁さんとはFB友達。
内容を読んでびっくりされたそうです。
よく考えれば、救急搬送しました、としか書いていないので、
その後のことがわからず心配して来てくださったのです。

母はお陰さまで昨日からベッドから起きて
座れるようになりました。
すっかり元気というわけではないですが、
普通に喋れるようになっています。

ただ、救急搬送の翌日、
ホームドクターの診察で心電図を取り「心房細動」が見つかりました。
母の不整脈の原因です。
どうき、息切れ、眩暈などの症状と、そして一番怖いこと。
心房細動による脳梗塞をかなりの確率で発症する事、
そして脳梗塞による死亡の50%が心原性であること、です。

「本当にそうかどうか検査をしようね」ということで
大阪市大で、検査をします。
それが水曜日、多分一日がかりです。
そして私が那覇入りするのが金曜日。
ん~ん、微妙!
たとえそうでも「お薬変えて様子を見ましょう」なら
熱発もないのでショートステイは可能です。
が、
24時間心電図や心エコーを取るので入院!となると、
私の那覇入りは消えてしまいます。

年に一度、師匠のもと全国の教師が集まります。
第一回から10年余り、唯一の皆勤者でしたが、
それも危うくなってきました。
母は「お姉ちゃん、行ってきて」と言ってくれますが、
大層な事になったら、そうはいかんやんね。
寂しく、悔しいけど、諦めるより他にないのか、
それとも、母は不死身なのか…。
全ては水曜日の検査にかかっています。

どうか那覇へ行けますように。
じゃなくて、母に穏やかな日々が戻りますように。





 

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by murikupana | 2016-02-01 01:33 | 日々のあれこれ



ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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