むりく花ぬ 咲かりょうり

懐かしい人々と。

映画を見てきました。

私が最初に勤務した大和商事時代の部長のご実家がロケ地だったからです。
当時の企画室の先輩からこのお話をいただいた時、
「ご一緒させてくださいね」と答えたものの、
映画はあまり期待していませんでした。
ところが面白かったのです。2時間があっという間でした。
淡路島が舞台で、玉ねぎ農家とノリの養殖と淡路人形浄瑠璃と。
「山が海を育て、海が山を育む」のキャッチフレーズの通り
まるまる都会っ子の私にはその映像の一つ一つが新鮮な驚きでした。

何より、20代の頃にお世話になった先輩たちと40年近くたって
食事をして映画を見る。とても賑やかな女子会(と言っていいのか)でした。

撮影ロケ地になったご実家の主、H部長は映画の完成を待たず、
今年の一月に亡くなられました。
一昨年に阪神のレストランで同窓会をした時
「俺ももう80やで」と言われましたが
なかなかどうして、ダンディな紳士ぶりは健在でした。
また次も企画しますねとお別れしたのが最後です。

エンドロールのフリップに部長の名前を見つけた時に
「あぁ、もう居てはれへんのやな」とぐっときました。

写真は部長が作られたかご、大阪駅上の天空の農園のブドウとトマトです。
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# by murikupana | 2015-06-15 23:08 | 日々のあれこれ

差し上げます

くうが旅立って1週間が過ぎました。
少しづつ部屋を片付けています。

少しでも暖かく過ごして欲しいと思って購入したグッズが手元に残りました。
我が家にはもう一匹いますがその子はこれらを必要としていません。

猫を飼っている方で、欲しいと思われた方に差し上げたいと思います。

 ★猫炬燵(ドギーマン)…4年の間冬季のみ使用しました。
             幅45×奥行33×高さ30センチ
             炬燵布団は少し色あせています。なんでしたら同じサ
             イズで作るか、キルティング生地で代用できます。

 ★床ペットDX(貝沼産業)…2年の間冬季のみ使用しました。
               幅55×奥行40×厚み1センチ
               両面使いで高温・低温になります。
 ★ペットシーツ…2m×2mのサイズ。裏がコーティングされていて、おしっこや
         吐瀉物も漏れません。洗濯機で洗えます。
         濃い緑色でインテリアには今ひとつですが、これに一番助け
         られました。薄手と厚手と二枚あります。
 ★温度計…輸液の温度管理に使用しました。点滴袋の外から計測できます。

いずれも二回づつ洗濯機を回し、プラスティックはアルコール除菌しています。
ですが、ユーズド感はあります。その辺りをご理解いただける方で、使ってもいいよと思われた方に差し上げます。

コメントか、メッセージでご連絡くださいね。
 



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# by murikupana | 2015-05-04 18:32 | くう&元気&もも

ありがとう、くうちゃん

くうが4月24日11時15分、虹の橋へ旅立ちました。
今、箱の中で花に囲まれたくうと一緒にお酒を飲んでいます。
この5年間、慢性腎不全の闘病を良く頑張ったねと褒めてあげながら。

22歳と10カ月。
ずっと私の傍にいてくれました。

まったく餌を食べられなくなったのが20日の夜から。
それでも翌日はよたよたの足で必死で歩いて抱っこをせがみました。
抱っこして~、撫でて~、しんどいから下ろして~
何度も同じことの繰り返し。か細い声で要求していました。
22日にはもう鳴きもせず、歩く事も出来ず、
おしっこは寝たままペットシーツの上で…でした。
大好きなチーズをあげると小指の先くらい食べました。
これが最後の食事でした。
筋肉がないので体温調節ができず、ずっと抱いて温めました。

23日は休日なので一日くうと一緒に過ごしました。
もうろうとしているのでしょうが、視線を感じてふと顔を上げると
くうがじっと見つめていました。
「お母さん、すごくしんどいんだけど、なんでかなぁ。」とでも言いたげな目。
もう輸液はしませんでした。

夜は、意識のないくうと一緒に休みました。
今夜だろうなぁと覚悟していたので、なるべく楽に、苦しまずにと願いました。
痙攣が始まり、少しずつその間隔が短くなり、
そのたびに声を掛け、撫でてあげて。
眠れないまま、朝を迎えました。

どうしよう、今日は仕事だし、最後の時に傍にいてやれない。
くうはまだ息をしています。
幸いな事に母の介護に妹が来てくれる日だったので、
すべて妹に託して出勤しました。

妹から電話があったのが11時30分でした。
くうがこの5年のしんどさから解放された瞬間です。
喜んであげなきゃと思いましたが、やはり泣いてしまいました。
駄目ですねぇ~。

けなげな子です。
明日、明後日と大工先生の特別稽古があります。
もし一日ずれたら、こんなにゆっくりとお別れの時間が持てなかった。
明日だったらお母さん、困るしね…とでも思ったのでしょうか。

猫炬燵にしてから夜は、お布団にもぐり混んで来なくなりました。
ちょっとそれが寂しかったのですが、
最後の5日間はずっと私の枕の横で眠りました。
最後の最後、とても濃いお別れの時間が持てたと思います。

今日は少し泣いていますが、もう明日からは泣きません。
病気に対して出来るだけの事はしたし(輸液の注射が上手になりましたよ)
めそめそするのはくうが嫌がるでしょう。
今頃は虹の橋のたもとで蝶々を追いかけていると思います。
私がそこへ行くまで待っていてくれるはずですから。

ありがとう、くうちゃん。この20年余り、楽しかったよ。
バイバイ、また、ね。
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# by murikupana | 2015-04-25 00:00 | くう&元気&もも

覚悟せんとあかんかなぁ

この一年で飼い猫のくうはげっそり痩せました。
身体中から筋肉が無くなりました。
2.9キロから1.6キロへ。
慢性腎不全と診断されてから5年。
毎日の輸液と猫炬燵が欠かせませんが、
それでもそこそこ元気で、食欲もあり、おしっこも失敗しませんでした。

痩せてきたのと、おしっこを失敗するようになったのとどちらが先だったのか…。
毛づくろいもしなくなりました。まっすぐに歩けなくて、よたよたしています。
横になる時も身体を最後まで支えられなくて、どさって音がします。
2か月前には階段から落ちました。猫が、です。

かかりつけの獣医さんは
「食べているうちは大丈夫。」と言ってくれますが
勘でもうあまり時間はないと思います。
体臭と、口臭が強くなっています。顔付も随分きつくなりました。
しんどいのか夜啼きと徘徊が納まりません。

あと2か月で23歳ですが、
お誕生日は迎えられないかもしれない。
覚悟はしていますが、私、持ちこたえられるかなぁ。





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# by murikupana | 2015-04-20 22:20 | くう&元気&もも

深夜のお婆さん

昨日、遅番で仕事を終え、天下茶屋に付いた時すでに21時を廻っていました。

「はよ、帰って、ご飯!」と足早に自宅近くのコンビニに来た時、
目の前の光景に、ふと「あれ!?」って思いました。
かなりのお歳のお婆さんが眼鏡を掛けた若者に
「この近くに歯医者さんはありませんか?」と尋ねていました。

私の中で黄色の信号が点滅しました。何かがおかしい。
私は近づいて、「どうしたん?」と尋ねると同じ問いかけ。
若者は親切に検索しましょうか?と言っていましたが「任せて」と目配せして。

「奥さん、今日は日曜やし、もう9時過ぎているから
歯医者さんはお終いよ。お家はどこ?」
答えは駅前のマンションとのこと。
送って行きましょうかと言うと「もう夜遅いから結構ですよ」と答えられて
「ありがとう」とすたすた駅方向へ歩いていかれました。

私の頭の中で老人の徘徊という言葉が点滅していました。
やり過ごしたふりをして観察していると、
道路の真ん中でお医者さんの看板を見つけては立ち止まっています。
(うちの近所は廃業したお医者さんもそのままになっています。)
するといきなりお婆さんは道路の反対側にいた女の子に近づき、
何かを聞いています。
もうすでに知らんぷりできなくなっていた私はダッシュで近づき
お婆さんを確保しました。
付け睫毛をばっちりつけたちょっとヤンキー風な女の子も
「お婆ちゃん、はよ帰えらな。もう遅いし、あかんで」と優しい言葉。

お腹の虫が鳴いていましたが、駅前まで送れば交番はあるし、
お婆さんのいうマンションもあるから、何とかなると思い、送って行きました。

色々な事を話しました。
昭和3年生まれの87歳で今は一人暮らし。
亡くなったご主人は診療所のお医者様、息子達もすべて医者、
長男は某有名病院の院長、あれ、二男やったかいな…とこんな調子です。
年寄りに話を合わせるのは自分の母で慣れていますが、
なんか少し認知が入っているような…。

そうしているうちに駅に着き、お婆さんを見送る形で別れました。
すぐに交番の女性警官に事情を離し、一緒にお婆さんを追いかけていきました。
すると、本当に駅前マンションに入ってフロントでカギを操作しています。

「あぁ、あのお婆ちゃんやったら、一日に一回は来はるよ。」
「鍵がどこかにいってあらへん、とかいろんな事言ってきはるなぁ」
「大丈夫よ、奥さん。僕らも気をつけておくから。親切にありがとうね」

一人暮らしと言ってました。
息子はお正月しか来ないって。

ずいぶん立派なマンションに一人?

どこまで本当の事かわかりませんが、
この時間にヘップ履きで財布一つ握って、歯医者さんを探してウロウロしている。
胸が詰まりました。

でも、天下茶屋も捨てたもんじゃない。
オタク風の男の子も、付け睫毛バッチリの女の子もお婆さんに優しかった。
それだけで良いか…と思いなおして、
もう一度来た道を今度こそ帰るぞと引き返しました。








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# by murikupana | 2015-04-20 21:51 | 日々のあれこれ

母も

「マスクして」
「手、洗った?」
「うがいした?」
「部屋の喚起してね」

これらの項目は戦争を生き延びた母には通用しない事です。
「そんなこと、せえへんでもうつらへん」と内心思っていたでしょう。
お腹の中で舌出していたかも。

「近寄ったらアカンよ」と言ってるのに、二階の階段口から覗いて
「どない、しんどいん?」
来たらアカン言うてるやん!とまた喧嘩して。

インフルをなめてます。
しっかり罹患しました。同じB型です。

午前の診察でホームドクターから電話がありました。
「お母さん、うつってはります。かすかに反応でました。
ただ、状態が良いので、リレンザを処方しました。
帰宅して高熱、息苦しい、などの症状が出なければ大丈夫でしょう」とのこと。

幸い熱も37度で止まり、食欲もないねんと言いながら、食べています。
ワクチンも昨年秋に打っているし、
リレンザの方がB型に効くというNETの情報もあるし、
少なくとも私よりずっと楽なはず。
このまま、終息してくれる事を祈ります。







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# by murikupana | 2015-02-27 20:34 | 日々のあれこれ

初インフルエンザ

なんか変!?と思ったのは夜10時過ぎです。
明日は出勤なのになんか調子悪いなぁ。
鼻炎の薬は飲んでるのになんか身体だるいし、関節がぎしっと痛い。
「やばいかも」と嫌な予感がして救急病院に電話をしました。
こんな時の予感って当たるんですね。
「今からインフルエンザの検査してもらえますか?」
「良いですよ。来れますか?」
「自転車で走ります」
20分後に到着し、事情を説明。
可愛らしい看護師さんが「鼻の奥をぐりぐりするので辛いかも…。」と
ティッシュ、ビニール袋と吐いてもいい用意をしてくれました。
「あ、大丈夫です。鼻を通すのは耳鼻科で慣れてますから」
確かにぐりぐりと痛かったのですが・・。

すぐ、笑顔で看護師さんが出てきてきっぱりと「B型陽性です!」
なんで笑顔?と思いましたが患者の発生が日常なんでしょう。

私はタミフルを処方され、職場にどう伝えようと思いながら帰宅しました。

インフルエンザっていきなり高熱になるって聞いていたから
自分の熱の上がり方は違うと思っていましたが、結果は一緒でした。
枕元に水を入れた水筒、グラス、ティッシュ、体温計とセットして寝ました。
寝る前に測ると38.5分、うつらうつらとしてトイレに起きて測ると39.9分。
人生初インフル、初タミフル、初39度台。はじめて見る数字。
熱なんて37.5度も上がるとふらふらなのに、39.9。
「見なかった事にしよう」と一生懸命寝ようとしましたが
やはり1.2時間ごとに目が覚め、水を飲み、の繰り返しで朝を迎えました。
きっと下がっている、期待して測って37.5分。
「えぇ~、まだ下がっていない」
タミフルの効果を期待していただけにショックでした。
その日は夕方再び38度まで上がりました。
そして今朝、体温計の数字が輝く36.5分。
「よっしゃ~!!」「長かった~!!」

今回の教訓は
母が調子を崩す事があってもその逆を想定していなかったことです。
母への説明としてマスク着用、手の洗浄、一階と二階に別居、食事も別、などを
理解させるのに苦労しました。 時にはけんか腰で(笑)
何よりも母の食事をどうするか。
まるまるヘルパーさんも来ずにディサービスもない日が一日あり、
買い物にも行けないので、あるもので作りましたが自分は食べられず。
立ってられなくて二回も貧血を起こすありさまでした。
だんだん母も心配になってきたのか、「お姉ちゃん、入院する?」
「バカ!年寄、子供じゃあるまいし、
インフルくらいで入院なんてでけへんわ!」とまた言い合い。
母に納得させるのにまた消耗して。

こういう時にこそ緊急でヘルパーさんを手配できるようにしておかなきゃ…と
反省しました。
自分は絶対元気!ではないんですよね。
それに私の周りには『母と娘』この組み合わせの友人が多くて。

声を大にして。
「老後はずっと先…ではないからね。
親の病気は、こちらの段取りの組みようで何とかなるけど、
その逆は大変だよ」って。

会社にも休暇で迷惑を掛けました。
体調管理も仕事の内って若い頃から教えられていたのに。
土曜日まで、もう少し我慢して休養します。





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# by murikupana | 2015-02-25 20:26 | 日々のあれこれ

謹賀新年

2015年 新年おめでとうございます。
今年はどんな年になるのでしょう。
少々のことは覚悟してますし、腹は据わってきましたが、
そこはそれ、神様、手加減をお願いしますね。

一日前の紅白、台所にいたのでほとんど見てませんが、
中島みゆきと、三輪明宏と、サザンはしっかり見ました。
やはりプロってすごいなぁと感動。
メロディのフレーズも綺麗なんだけど、唄は歌詞の力と思いました。
タイミングあって見られて良かった。
なんかとても得をした気分でした。

さて、今日は
賀状を読み、猫とくつろぎ、襦袢に半襟つけて、そして三線の初稽古。
元旦だけの正月休みですが、それでも周りが静かなので本当にゆっくりしました。
とっても寒かったし、一日お家でほっこり。

明日は初売り、福袋。早朝出勤なので、もう休みます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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# by murikupana | 2015-01-01 23:03 | 日々のあれこれ

台風の中、20年目の琉フェス

1995年、私はディアモール大阪の開発室に居ました。
少しゆとりのあった時期で、何気に新聞を見ていると「琉球フェスティバル」の広告。
「竹中労さん、夜桜コンサート…。」懐かしくて同僚と行きました。
中間あたりでタオルを頭に巻き、白のTシャツ、ジーンズに三線を引っ提げて
スタスタとステージに上がった人がいきなり「沖縄を返せ」を歌いました。
「え、誰?」パンフレットに大工哲弘とありました。
沖縄返還運動の嵐が吹き荒れた時、私は高校生で
扇町公園の集会やデモでよくこの歌を歌いました。
思いかなわず基地付き返還。
記憶のずっと昔に封印した歌を歌った人に、興味がわきました。

フェスティバルの最後、
煌々と照明が付く中でその人はアカペラでとぅばらーまを歌いました。
力強くて勢いのある、のびやかな艶のある歌声でした。
初めて聴いた知らない歌でしたが、私は恋に落ちました。
とぅばらーまに、八重山民謡に。
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それから20年。
その歌を歌った人に、今、八重山民謡を学んでいます。
台風18号が接近しているので、嵐になるかもしれないと思いながら
ずぶぬれになってもいいように準備して、大阪城野音へ。

大城美佐子
大工哲弘・苗子
徳原清文
新良幸人&パーシャクラブ
大島保克
下地勇
ネーネーズ
上間綾乃
里朋樹・歩寿
りんけんバンド
知名定男
京都琉球ゆう遊会

20周年記念の琉フェス、堪能しました。楽しかった。
先生の選曲は、鷲ぬ鳥節、まるまぶんさん~揃った節、八重山育ち、まみとーまでした。
このフェスも紆余曲折がありながら、良く続いたと思います。
元HIPの河野さん、森本さんの努力があってこそなのでしょう。
私も途中二年ほど抜けましたが、ほぼ毎年見ています。

今日はきっと、とぅばらーまで終わる。
そんな予感が朝からずっとしていましたが、ドンぴしゃ!でした。
幸人、保克、そして先生と苗子さんの三人三様のとぅばらーまと囃子、
それぞれ味わいが違って素晴らしかったです。

カチャーシーの賑やかさも嫌いではないけれど、
やはり20年の節目はこれですよね。
初めて聞いた時の衝撃には及びませんが、
しみじみと味わって聴くことができました。

ありがとう!琉フェス! 20年、お疲れ様。







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# by murikupana | 2014-10-05 23:53 | お稽古

人の縁

1週間前の月曜日の出来事です。


朝、携帯がプルプルと。
「おはようございます。わたしわかりますか?」

はて、このイントネーションは沖縄みたいだけど、
電話してきて「わかりますか?」って聞く人に心当たりはありません。
しかもかなり若い女性のようです。
「えっと、ごめんなさい。どなたですか?」
「○○です」
「え、あの保育士の。和可奈ちゃん?」
「はい。」




1999年6月7日。
大工先生のゆんたしょーらパート4を見るために訪沖し、
さていよいよ帰る日の朝、壺屋の東窯あたりを散策。
シーサーの手頃なものがあれば買おうかなとぶらぶらしていると、
写生をしている小学生のグループに出会いました。
小学生は好奇心旺盛、大阪から来たおばちゃんに
「大阪では、○○こは何て言うの?」など、刺激的な言葉を連ねます。
(子供たちはどの地域も汚い言葉が好きですね(笑))
この子たちは与儀小学校の5年生でした。
「大阪へ帰ったら写真送るね」と約束して帰阪。
校長先生あてに人数分を焼き回しして送りました。
その中で唯一「ありがとう」と手紙をくれたのが和可奈ちゃんでした。

それから年一回の年賀状のやり取りが始まりました。
そして5年。
何度目かの訪沖の時に国際通りのスターバックスで再会しました。
彼女は見違えるほど大きくなり、そこには小学生の頃の面影はありません。
とても、はにかみ屋さんで、言葉少なく、緊張している感じでした。
そりゃそうです。
小学生の頃、たった一度しか会っていないおばさんとお喋りするのですもの。
学校のこととか、私の唄三線のこととか…。
この時、初めてプリクラなるものを取りました。

それでも日常に戻ると、記憶が少しづつ薄れていきました。




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「え、もう、今日帰るの? 私はお休みだから、帰る前に関空で会いましょう」
10年の時が過ぎて、関空で会いました。三度目です。
目の前の和可奈ちゃんは本当に素敵な女性に成長していました。
はにかみ屋さんでおっとりした雰囲気は変わらないもののすっかり大人です。
もう27歳。
あの時に緊張して喋れなかった女の子は、
USJに遊びに来て、たくさん並んだこと、
夜はゾンビが出てくるので怖いからスヌーピーの処で遊んでいたのと、
楽しそうに話してくれました。
この4月から正規職員として保育の現場で頑張っている事、など
搭乗までの短い時間でしたが、10年分のお喋りをしました。
なんか、胸がふぁ~っとするほど嬉しい時間でした。
メルアドを交換して、再会を約束して。

二人ともあの時のプリクラを持っていましたよ。
それもとっても嬉しかったですね。

また、沖縄に行く楽しみが増えました。









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# by murikupana | 2014-09-24 10:26 | 日々のあれこれ



ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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