むりく花ぬ 咲かりょうり

気付いたこと

覚えられたことと歌えたことは別だと思います。
特に早調子はリズムよく刻みながら、歌わなければなりません。
ハミングではだめなんです。しっかり声出して歌う。
暗譜した三線の手が体に染みついていないと難しいです。
8年前、私はある早調子の曲を覚えたつもりで
上手く歌えませんでした。ハミングのような芯の無い声でした。
悔しい!

今回、掛けられるだけの時間をかけて稽古して、
高速でもゆっくりでも歌えるようにして臨みました。
しっかりした芯のある声で歌い、リズムを崩さず弾く。
完璧ではないでしょうが、やりきったと思います。

何日か過ぎてある人と話しました。
「早調子を早く弾けない人は稽古次第で速く弾けるようになるけど、
早く弾ける上手な人ってゆっくりは弾けないんだね」
「いや、ちかさん、それは上手いって言わないよ。
早くてもゆっくりでも最初刻んだテンポが体の中に入ってないと狂ってくるし。
上手な人はゆっくりも弾ける、早くも弾ける」

テンポを維持するって難しいです。特に早調子を少しゆっくり弾くとき。
パッカパッカの「ッ」の長さを体が覚えないと早くなっていくし、
苦手な運指の部分はべたっとした弾き方になってしまいます。
そこで焦るとアクセルがかかります。少しずつ早くなってくる。
最初に刻んだテンポが最後まで維持できるように稽古しようと
考えさせられた深夜の電話でした。
リズムを刻んで、しっかりした声で歌えるようにする。
あくまでも私の場合ですけどね。



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# by murikupana | 2018-03-28 12:47 | お稽古

響ましょうらやいまうた 大工哲弘・苗子うた会 覚書 その2

イヨゥ! ドン!
トゥトゥテン テントゥテン テントゥテン トゥン テン 
昼の部、開演です。

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照明が明るくなった客席にはぎっしりのお客様。
何度体験してもこの幕開け斉唱は清々しくて厳かな気持ちになります。
和可奈ちゃん、見てる?
赤馬節。本盛先生始め研究所の方々が花を添えて踊ってくださいます。
本盛先生のグレーの麻の紅型打掛がシックで、
廻りの方の朱赤の衣装ととてもあって綺麗でした。
鳩間節は黒のスディナに四つ竹を持ってゆったりと踊ります。
とにかく早くならないように気を付けて歌いました。

ここまででいったん私たち弟子の出番は終わります。
続いて先生のお孫さんのエイサー、先生の独唱、
苗子さん、真司さんとのでんさー節の合唱と続きます。
妹の高嶺さんが笛を吹き、家族で歌えるって素敵!と感じた合唱でした。

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二部は先生と私たち大哲会が歌うゆんたで始まりました。
富崎野ぬ牛なーまゆんた~月出ぬはなむぬ。
八重山にゆんたはたくさんありますが、その中でも牛なーまは好きな歌です。
富崎野のあの雄大な草原が目の前に浮かびます。

続いて亀久畑節からまんがにすっつぁ。舞踊が入ります。
今回一番稽古した曲、亀久畑節。
8年前のくいぬぱな節の苦い経験があるので、何百回弾いたか覚えていません。
亀久畑の早調子と最終決まってから、そう、ほぼ毎日。
暫くぶりにマッチ棒一本、二本と数えました。
毎日聴かされたご近所の皆さん、御免なさい。
お陰で自分の中では悔いなく歌いきれました。

コーニーズのまるまぶんさん~殿様節、幸太さんと吉原さんの小浜節、
そして再び先生と苗子さんのステージに続きます。
私が舞台袖で聴けたのは、とぅばらーま、くいちゃ踊り、満州娘だけでした。
とぅばらーまを聴きながら
「あぁ、私、先生のこれを聞いて八重山民謡始めたんや」と思い出していました。
何度聞いても先生のとぅばらーまはぐぅっときます。
歌声に心が乗っているから…。

楽しい時間はあっという間に過ぎます。
気が付けば、もう夜の部の弥勒・やーらようを歌っていました。
身体は疲れているのに、気持ちは超ハイテンション、頭の中がフワフワしてます。
終演は時刻ぴったりに終わりました。
緞帳が下りて、唄が終わった時「はぁ~」と大きな吐息が一つ。

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さ、急いで撤収して、二次会の会場、我如古より子さんのお店SunSeaNへ。
半地下にステージのあるお洒落なお店でした。
前回もそうでしたが打ち上げが22時過ぎから25時までって、どんなん?
各地から来た仲間と話に花が咲き、大工先生に古稀のお祝い、
苗子さんに功労賞の記念品をお渡しでき、
より子さんの娘ジントヨ~も聞けました。
結局一次会だけで帰ったにもかかわらずベッドに入ったのは3時過ぎでした。
長い長い一日が終わりました。

明日は11時台の飛行機なので、今回も観光なし、会場缶詰でしたが、
濃い毎日だったので満足しています。
何人か、那覇に住む友人に会えなかったのが残念ですが、
贅沢を言ったらキリがないです。
こうして那覇まで来ることができ、国立劇場という大きな舞台に立てました。
素晴らしい経験をさせていただいたこと、感謝しています。













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# by murikupana | 2018-03-26 13:17 | お稽古

響ましょうらやいまうた 大工哲弘・苗子うた会 覚書

恩師大工先生の芸歴50年と大哲会発足を記念した公演に参加しました。
その記録です。

仕事を放したといえ、母の介護があるので妹の協力無しには出られません。
不安を隠して「行っておいで」と言ってくれた母、泊まり込んでくれた妹、
一緒に稽古した仲間、総ての人達に感謝して。
何よりも今までご指導くださった大工先生に心よりお礼申し上げます。


2018年3月18日(日)15時開演/18時30分開演
国立劇場おきなわ 大劇場

出演 大工哲弘 苗子
   舞踊 本盛美奈子 秀風会 八重山舞踊研究所
   箏 琉球筝曲興陽会 神谷宏美研究所
   キーボード 嘉手苅聡
   コーニーズ
   伊藤幸太 大工真司 真名人 結衣真 陽真利
   太鼓 大城朝夫
   笛 屋宜公
   司会 島袋千恵美
   八重山うた大哲会 会員一同

セットリスト
 第一部 赤馬節~目出度節
     鳩間節
     エイサー
     高那節 やぐじゃーま くいぬぱな あがろうざ 
     でんさ節 安里屋節 八重山育ち
 第二部 富崎野ぬ牛なーまゆんた
     月出ぬはなむぬ
     亀久畑節~まんがにすっつぁ
     まるまぶんさん~殿様節
     小浜節
     望郷哀歌 愛の子守歌 生活の柄 とぅばらーま くいちゃ踊り 
     満州娘
     弥勒節~やーらよう

17日、母を見てくれる妹に引き継いで、神戸空港からSKYで出発しました。
最近のSKYは遅延が少ないと思っていましたが、少し不安。
が、なんと20分も早くつきました。偉いやん SKY!
陽子ちゃん、宝塚の池内さんの三人でタクシーを飛ばして、
国立劇場おきなわに急ぎます。
大哲会のリハは始まっているはず…と、やきもきしましたが、
タクシーも10分ほどで会場に到着。新トンネルのおかげでとても早いですね。

リハはサクサクと進みました。
踊りとの手合わせで、スピードとリズムを合わせるのが一番大変でした。
早すぎても遅すぎても駄目で、気が焦ると音がワシャワシャになって踊れません。
大阪は普段から猪妻玉子先生に地謡の稽古をさせて貰っているので、
歌いだしのタイミングが身についていて有難かったです。
明日にこのテンポが保てないと駄目です。信じましょう。
その後、コーニーズ、幸太さん、吉原さんの独唱と進み、
時間きっちりに私たちは終わりました。

県庁前のホテルマルキへチェックイン、どこへ行くとも決めてなかったので、
メンバーからの連絡を待っているとなんと~。
「ちかこさ~ん、今夜出て来れますか~」と和可奈ちゃんから電話がありました。
(彼女が小学生の頃からの友達です。今は結婚しています。)
読谷から?と慌てると実家だそうで、なら、会おうよとなり
ジョイフルじょうがく店で食事しました。
お母様も一緒です。
彼女は明るくてほのぼの~としていて、よく笑う女の子ですが、お母様も同じ。
親子って似ています。ほんと、仲良いなぁ~。
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楽しいお喋りの時間はすぐ過ぎて、ホテルに帰ったら10時頃でした。
まだ皆居るかなと二組に連絡するも「これから帰る~」とつれない返事。
フロントで「おすすめのお店あります?」と確認して
連れて言って貰ったお店、久茂地の「とどろき」は大正解でした。
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お魚は新鮮、普通の居酒屋ですが、聞こえてくる会話のイントネーションが沖縄!
ジモッティばかりのお店っていいですね。

ということで初日は過ぎていきました。
 

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# by murikupana | 2018-03-25 13:23 | お稽古

大工哲弘 琉球弧を渡る風 南島唄会2018 覚書

2018年2月11日(日)16時開演
大阪人権博物館リバティホール
大工哲弘・苗子
清村斉・kei kawa
チンドン通信社 林幸治郎 小林信之介 ジャージ川口
大哲会関西 豊中・大阪・大阪中央支部

セットリスト 一部
大哲会関西  富崎野ぬ牛なーまゆんた~とーすぃ
       月出ぬはなむぬ
       まんがにすっつぁ
       安里屋ゆんた
清村斉 Kei Kawa  正月ぬえーぐ
           なりやまあやぐ
           多良間ションカネー
           わーり美島多良間島   
           くいちゃー
大工哲弘 苗子  高那節  
         鳩間節
         くいぬぱな
         やぐじゃーま
         与那国ぬ猫小  
セットリスト 二部     
チンドン通信社  潮来傘
         大阪しぐれ         
大工哲弘 チンドン通信社  美しき天然
              影法師
              ハイカラソング
              道頓堀行進曲
              炭坑節
              河内音頭
              浪速恋しぐれ
              十九の春 大阪バージョン  
              生活の柄
              新安里屋ゆんた(全員で)
              
              とぅばらーま
              さよなら港(苗子さんと)

昨日までの雨が嘘のようにすっきり晴れた、でもとても寒い一日でした。
先生のオープニングアクトを務めるために、リバティ大阪に集合しました。
少しの緊張と一杯の高揚感で、みんなの声も弾みます。
豊中、大阪、中央支部のメンバー総勢23名です。
今は別の支部ですが、もともとの根っこは同じです。
先生の歌う八重山民謡を学びたいという思いは一緒なので、
息はぴったりでした。
ゆんたは無伴奏で歌います。だから「語尾の音程を下げない」
それだけを意識して、声を飛ばそう!力を込めて歌いました。
ゆんたは本当にいいです。
歌っているうちに目の前に富崎野が浮かびます。
苦手の早調子のまんがにすっつぁも一か所もつれたけど大事に至らずでした。

清村さんの宮古民謡は正月のえーぐを袖で聴けなかったのが残念ですが、
多良間ションカネーは初めて生で聴きました。ええお声でゆったりと。
聴きごたえありました。

大工先生と苗子さん、安定の魅力です。
苗子さんは箏を弾きながら(つまり俯いて)歌うので大変だと思います。
私はあのちょっと掠れた、でも芯のある苗子さんの声が大好きです。
あんな声が出せればいいのにって、憧れますがない物ねだりですね。


で、二部です。
チンドン通信社さんは、そりゃもうプロ!このお三人ですものね。
トークの盛り上げ方が半端ない。音楽も最高。
大阪しぐれはジャジーで、アンニュイで素敵でした。

で、うちの先生とのコラボは
先生の歌詞が見つからなかったり、
ちんだみが合ってなかったりとハプニングはありましたが、
それもご愛敬で会場を笑いの渦に巻き込み、ゆるーく楽しく進みました。
凄いなぁ~、このジョイントは。

最後のとぅばらーまは圧巻でした。一番はアカペラで、二番は三線で。
「囃子は会場の皆さんが入れてくださいね。」と一人で歌われて
会場から、舞台袖から、男性から、女性から囃子が飛んできた時は
鳥肌が立ちました。
凄い!
関西の会場で、こんなこと、記憶にないです。
会場と客席と一体になった良いコンサートでした。

打上は大正区のいちゃりばで。
母の投薬の時間があるので途中で退席しましたが、
私のお友達とすごく縁の深い橋本さんとご一緒になりました。
どこかでお目にかかったらご挨拶したいと思っていたので、良かったです。
明日につながる楽しい一日でした。皆様に感謝です。

撮影禁止だったのですが、お友達が撮影して送ってくれたので、
少しだけ。お友達限定です。
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# by murikupana | 2018-02-13 22:58 | お稽古

新年に。

年が明けました。

今日は支部の総会&初興しでした。

昨年に仕事を手放したので、
年末から年始にかけては少々時間ができました。
大晦日も元旦も二日目もお家にいて、
TVで福袋の販売の様子を見ていました。
もちろん、三線も一杯弾きました。

毎年何をテーマに一年の稽古をしようと考えるのですが、
今年はステージも多くあるので「暗譜」に決めました。
私の工工四は真っ赤です。先生に注意されたところや、
自分でできなかったところに朱が入ってます。
その他鉛筆や青のマーカーも。
とにかく賑やか。
それを見て歌う方が安心やし丁寧に歌えるのでついつい見てしまう。

今年は一年、それを放します。
とにかく見ないで音の流れを覚えて、それに声を乗せる。
それなりに歳を重ねてますから、時間はかかるかもしれないですが、
一か月一曲、で一年で12曲。駄目でも10曲。素敵!

まずは亀久畑節とまんがにすっつぁ。
ほぼ手は入ってますが、歌詞が…ね。
特にまんがにすっつぁは女性の名前が覚えきれない…。頑張ろう~。
健康で三線を弾けることに感謝して。




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# by murikupana | 2018-01-07 22:00 | お稽古

真似節

真似節と書いて、あやかり節と読みます。

20年近く、八重山民謡を稽古していても、歌えない歌はあります。
つまり稽古をしていない曲ですね。

なぜ稽古してこなかったか。
音源が少ないから…。
師匠が歌っていないから…。
地味だから…。
節にメリハリがないから…。
私の場合、これに早いから…と言うのも入りますが。

このうち、「音源が少ない」「師匠が歌っていない」は解決されました。
普段私たちが使っている工工四の全曲を師匠がCD10枚組にしてくれました。
ほんと、ありがたいことですが、これで音源ないしと言う言い訳は使えません。
そして最近速い曲も何とか形になるようになってきました。
まだまだ刻みが甘く、疲れてくると乱れます。
体力勝負です。昔誰かが上腕二頭筋を鍛えるって言ってたな~。

で、新曲ですが、この真似節です。
地味です。節のメリハリと言うか流れがゆったりしています。
二揚げの歌のようにドラマチックではありません。
でも、どうしても完成度高く歌えるようにならなきゃ駄目なんです。

はい、頑張ります。

とりあえず、三線の手は入りました。たぶん…。
上句の節回しの難しい処、繰り返し集中してやっていますが、
基本イラチなので、師匠よりタイミングが早い部分があります。
これを早く修正します。
あと何曲か、今まで歌っている歌でも細かい部分修正して、
きっちり歌えるようにならないとあきません。

久しぶりに気合入った稽古ができています。
なんか、楽しい。
難しい歌やけど、楽しいな。




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# by murikupana | 2017-11-27 22:28 | お稽古

断捨離中。で、懐かしいものが…。

20代の頃、東京で仕事をしていました。
大学で学んだのはインテリアで、就職したのがカーテン会社の商品企画室。
もっぱら建築図面をひいていたのでテキスタイルデザインは門外漢でした。
これってちょっとしたことが理解できなくて時間がかかったり、
染織出身の先輩にチョコチョコ嫌味言われたり…。
「なんだか、悔しいな~」と当時勉強に通っていたのが、
目黒区碑文谷にある川島テキスタイルスクール東京工房です。
別科に在籍し、毎週土曜日の午後はそこで過ごしていました。

どこにそんなパワーとお金があったのか、毎日仕事をしながら(しかもほぼ終電)
毎週末、緑ヶ丘から都立大学へ飽くことなく通ってました。

糸、染、紡、織、造形…。

ここで仕事に必要な知識も吸収できたし、フェルティングやカーディングなど
楽しい作業も一杯教えてもらいました。

今日、押入れの奥の何年と開けていない衣装ケースから
当時の資料の一部と「修了証」が出てきました。
織りに関する道具や、何時か紡ごうと残しておいたウールの塊などは、
すべて知人に譲ったので、もう残っていないと思っていましたが、
建築の資料とともに出てきたんです。

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おおぉ~~、懐かしい~~。

何にでも必死で一生懸命生きていた時期。仕事の失敗や、悔しい思いは
ひたすらシャトルを飛ばしてパッタン、パッタンしているうちに
明日も頑張ろう!って思えました。 

ちなみに昭和50年の私の給料は7万9千円。
54年の別科の第5講座の授業料は1万6千円、織機リース料が6千円となってます。
少ない給料の内からやりくりして出していたんだなとちょっと切なくなりました。
ほぼ毎月給料前は金欠で、ランチ抜き、牛乳と肉まんの夕食、
お米炊いて、キャベツにしょうゆ掛けてそれがおかず!な日々でした。
それでも苦にならず、毎日がキラッキラしてました。若かったな~です。

当時からの仲間で今も友人のUさんに「いる?」とラインしたら
速攻で「送って」と返ってきました。
私はこれからも織ることは無いけど彼女は60歳から再び手織りを学び始めました。
参考にしてもらえるならこんな嬉しいことはないので、明日早速送りましょうね。


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# by murikupana | 2017-11-08 21:59 | 日々のあれこれ

ライブにて

高校生の頃、
高校の軽音楽同好会でバンドを組みフォークソングを歌っていました。
森小路にある平和の子保育園のフォークスクールで歌を歌ったり、
テーマを決めて話し合ったり。
相当頭でっかちの高校生だったと思います。
同じ頃、難波元町にある喫茶店「ディラン」によく行っていました。
当時のサブカルチャーを知る人には「ディラン」といえば超有名な喫茶店です。
5坪くらいの小さなお店で、大塚まさじさんと石村洋子さんが経営していました。
とても居心地が良く、音楽をする若者が各地から次々と訪れ、
あっという間に有名になっていきました。
今なら、「不良」のレッテルを張られるかもしれないけれど、
時代の空気がそういうこと(高校生が喫茶店に出入りすること)を
許していました。自己責任、私は平気でした。


ある時、私はディランを出て貧血を起こし、救急車で運ばれました。
同乗して病院までついて行ってくれたのが、ながいようさんです。


時間が過ぎ、私も高校生、大学生、社会人となって関西フォークから足も遠のき、
風太さんの春一番も行かなくなって。
永井さんが大塚まさじさん、西岡恭三さん、と一緒に
ディランというバンドで活躍しているのは知っていましたが、
会うこともなく何十年と経ちました。


何がきっかけだったのか、ふと思い出し。
そうそう、本店8階の中古レコード・古書の催事で
大塚まさじさん、糸川燿史さんのトークショーを懐かしく聞いていたんだっけ。
それがきっかけかなぁ。

救急車の時のお礼はちゃんと伝えていたのだろうかと気になり検索しました。
フェイスブックで見つけたのですが、同じ名前の別人かも…と。
じっくり写真を見てみると当時の雰囲気と全く違う、
でも目の優しさは同じ、おじさんがそこにいました。
お互い様ですが、「あぁ、月日は過ぎたんだ」と思いました。
当時は髪はアフロだったか、腰までの長さだったか、
そして黒縁の目が目をかけていたよね。

かと言って、私の事を、救急車の一緒の乗ってくださった事を、
覚えておられるのかどうか…。
とりあえずメッセージを差し上げました。

帰ってきた返事が「覚えているよ!元気ですか?」
「僕は今、嫁の故郷、読谷に住んでいます。
ライブで時々関西に行くから。会いたいなぁ。」

すっかり嬉しくなって「近々、ライブに伺いますね」と返事しました。

5月末のある日の夕方。
ライブ会場の寺田町「ロビン」を訪ねると、
「おちかさん!懐かしいなぁ」
もちろん、自分で名乗ったからでしょうが、面影を見つけ出してくれたのかな。
当時のあだ名「おちかさん」と言ってくれたのが面映ゆかったです。
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ディラン時代の有名な曲も含めてたっぷり2時間、
ライブを楽しみました。
昔からギターが上手でしたが、やはり、プロですものね。
当時よりずっと、ずっと、磨きがかかっていて感動しました。
ギター、バイオリン、ブルースハーブ、の織り成す音が優しく心にしみました。
やさしさと愛を一杯感じて、今こうしている時間に感謝して。

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じっくりお家でも聴こうとCDをいただいて帰路につきました。
母が待っているので長居ができずゆっくり話せなかったのが残念ですが、
駅までの道、歩きながら、心がほっこ、ほっこしました。

おまけです。
当時ディランのママをしていた洋子さんとも再会しました。
鳥肌が立つほどびっくりしました。
60歳半ばになって、何十年も過ぎて、会えるなんてどれだけ嬉しいものか…。
話している途中で「ディランのママ?洋子さん?」と気付きました。
雰囲気がそのまま残っていました。本当に昔のまま。
またどこかで会えますよねと連絡先を交換しました。
気持ちが一気に高校生に戻った時間でした。





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# by murikupana | 2017-06-05 22:05 | 日々のあれこれ

勤務最終日

4月10日、勤務最終日でした。
5年間の再雇用勤務が終わりました。
大学卒業してから職場は3つ変わったけれど、43年間、よう働きました。
もっとセンチになるかな?と思ったけれど、案外そんなこともなく淡々と。
百貨店の常で、最終日が遅番というのもご愛敬でした。
同僚や、売場ののアルバイトさん、そして以前に在籍していた職場の方から
表彰状や、お膳別、普段絶対買えない大きな花束など一杯プレゼントされて
まるで宝塚のトップさんのようでした。

勤務を終えて女子ロッカーに行くと、
これだけ花束や何やら持ってたら気づくよね。
「え、山本さん!ひょっとして?」
「そうだよ、今日が最終。今までありがとうね」
「え~~、会えてよかった!、元気でね」とあちらこちらでご挨拶できました。

結局43年間の内、大和商事が8年半、アトリエコロが3年半、阪神が31年と
阪神が一番長くお勤めしたことになります。

どれだけの部署で仕事したのかなと数えると10個ありました。

商品企画室
家具・家庭用品部
ディアモール大阪準備室
海外事業部
販売促進部
呉服・美術・宝飾部
法人外商部
家庭外商部
エビスタ阪神
タイガースショップ と賑やかやなぁ。

一つの部署で長く仕事をする専門職に憧れますが、
「百貨店勤務はどこへ異動させられても、そく戦力となる総合力を求められる」と
頑張ってきました。仕事好きですし異動は苦になりませんでした。
それぞれの部署で上司や仕事に恵まれて良いサラリーマン人生やったと思います。

でも、もし、もし「今までの職場でどこが一番よかった?」と、聞かれたなら、
迷わず一つ目の会社、大和商事と答えるでしょう。
私が百貨店で長く仕事ができる基礎を作り、育ててくれたのはそこだから。
倒産してしまって今はもうありませんが、社会人として多くの事を学びました。
学卒の生意気なペーペーを、本当に根気よく指導していただいたと思います。
大和商事で教えてもらったことが阪神百貨店で活きました。心から感謝します。
今でもタイムカードを押して最終電車に乗るために
神泉駅へダッシュしている自分を懐かしく思い出します。

これからどんな時間を過ごすのか、まだ一週間しか過ぎていないので
実感がわきませんが、昨日までの自分に笑われないように、生きたいと思います。











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# by murikupana | 2017-04-22 00:28 | 日々のあれこれ

何度目かわからない救急搬送と医者のあれこれ

三線の稽古日。
野田阪神についたところでヘルパーさんからのショートメール。
「キヨさんがしんどいから救急車を呼んでと言ってます」
やれやれ、いつもの発作と私はわかっているけれど、
ヘルパーさんはそんな事に慣れていません。
ちょうど一週間前も同じような状態で、
私と連絡がつかなくなって焦っていたっけ。
病院についた頃には良くなるとわかっていても
ほっておくわけにもいかず、救急の手配してもらってとんぼ返りしました。

湊町にある富永病院に着くと母は処置室で点滴を受けていました。
待つこと一時間。
呼ばれて入ると母は「ん~ん、ん~ん、痛い~」と唸っていました。
(慢性心不全は不整脈が起きるので、気持ち悪くてしんどかったり、
 心臓が痛いと感じたりするそうです)
処置してくれた桑〇医師はPCのデータを見ながら説明してくれました。
「BNPがこれこれで、CREAの値がこれなので
 心臓以外に腎臓もダメージがあります」
「では、今夜は入院ですか?」
「いや、この値では入院の基準を満たしていません」
「は?どういうことですか、それ?」
「じゃ、先生はこんなに唸っている母を
 タクシーに乗せて連れて帰れ!というんですか?
 よくそんな非人間的なこと言いますね」
「いや、そんなふうには言っていない」
言った、言っていないの押し問答のすえ、私は完璧に切れました。
「お母さん、帰ろう。こんなところにいたら余計状態が悪くなる。お家に帰ろう」

結局私の剣幕にびっくりしたせいか(笑)母の発作はスッと収まりました。
「こんなにしんどいのに入院もでけへんの?」といったのが
切なくて、かわいそうで。
最後に桑〇医師が捨て台詞のように言ったのは、
あなたの言葉で私は傷ついたとか、なんかそんなニュアンスの事でした。
では、あなたは「入院基準を満たしていない」と言われたら
患者や家族はどんなふうに思うのか考えたことはありますか?
傷つくどころか、入院もできない、こんなにしんどいのにどうしたらいいのって
とても不安になるでしょう?それをわかっていますか?

医者はそういうところも配慮してくれるものと思っていましたが、
今日で認識を改めます。
しょせん勤務医は勤務医。
面倒くさい患者、治る見込みのない患者(母はどちらも当てはまります)には
つれないもんです。
たぶん母は、死ぬまでこんなしんどい状態が続くのでしょうね。
慢性心不全とはそういう病気だと思います。

今回、病院名と医師名を書くのに躊躇しました。
書いてしまうと、次に何かあってももう搬送できません。
ネットの世界はずっと消えないからその内容が
お家の玄関に書いて貼れるかどうかが判断基準ということも理解してます。
それでも我慢できなかった。だから書きました。

もう寝ます。











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# by murikupana | 2017-04-06 23:35 | 日々のあれこれ



ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
S M T W T F S
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