むりく花ぬ 咲かりょうり

断捨離中。で、懐かしいものが…。

20代の頃、東京で仕事をしていました。
大学で学んだのはインテリアで、就職したのがカーテン会社の商品企画室。
もっぱら建築図面をひいていたのでテキスタイルデザインは門外漢でした。
これってちょっとしたことが理解できなくて時間がかかったり、
染織出身の先輩にチョコチョコ嫌味言われたり…。
「なんだか、悔しいな~」と当時勉強に通っていたのが、
目黒区碑文谷にある川島テキスタイルスクール東京工房です。
別科に在籍し、毎週土曜日の午後はそこで過ごしていました。

どこにそんなパワーとお金があったのか、毎日仕事をしながら(しかもほぼ終電)
毎週末、緑ヶ丘から都立大学へ飽くことなく通ってました。

糸、染、紡、織、造形…。

ここで仕事に必要な知識も吸収できたし、フェルティングやカーディングなど
楽しい作業も一杯教えてもらいました。

今日、押入れの奥の何年と開けていない衣装ケースから
当時の資料の一部と「修了証」が出てきました。
織りに関する道具や、何時か紡ごうと残しておいたウールの塊などは、
すべて知人に譲ったので、もう残っていないと思っていましたが、
建築の資料とともに出てきたんです。

c0023461_21583181.jpg
おおぉ~~、懐かしい~~。

何にでも必死で一生懸命生きていた時期。仕事の失敗や、悔しい思いは
ひたすらシャトルを飛ばしてパッタン、パッタンしているうちに
明日も頑張ろう!って思えました。 

ちなみに昭和50年の私の給料は7万9千円。
54年の別科の第5講座の授業料は1万6千円、織機リース料が6千円となってます。
少ない給料の内からやりくりして出していたんだなとちょっと切なくなりました。
ほぼ毎月給料前は金欠で、ランチ抜き、牛乳と肉まんの夕食、
お米炊いて、キャベツにしょうゆ掛けてそれがおかず!な日々でした。
それでも苦にならず、毎日がキラッキラしてました。若かったな~です。

当時からの仲間で今も友人のUさんに「いる?」とラインしたら
速攻で「送って」と返ってきました。
私はこれからも織ることは無いけど彼女は60歳から再び手織りを学び始めました。
参考にしてもらえるならこんな嬉しいことはないので、明日早速送りましょうね。


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by murikupana | 2017-11-08 21:59 | 日々のあれこれ
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ふとしたきっかけで八重山の唄に出会い 遥かに続く歌三線の道に精進するというか悪戦苦闘する大阪のおばちゃんの記録
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